なぜ終ってしまうのか?

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この本の主人公、田代は、定年退職の日にこう言っています。

「元気でしっかりしているうちに、人生が終わった人間として華やかに送られ、別れを告げる。生前葬だ。」

 

勝ち組、負け組と言われるが、それはどこで分かれるのだろう?

もし、定年退職が生前葬なら、みんな遅かれ早かれ負け組になるということであろうか?

 

何もすることがなく、暇を持て余し孤独な毎日を過ごす田代でしたが、しばらくして、華麗ながらも波乱万丈の第2の人生に巻き込まれていったのです。とどのつまり、退職金の9割を失ってしまったわけですがが、せめてもの救いは、ささやかなハッピーエンドとなっていることです。

 

”何をするか”を第一に考えると、生前葬が済んでしまった人間は落ち込むばかり。

そんな田代に、ラッキー(?)にも、棚から牡丹餅の第二の人生が訪れます。それも結局は破綻してしまうのです。”何か”を求めると、長続きはしません。その”何か”を失うと元の木阿弥に戻ってしまうわけです。

そんな田代でしたが、最後には、”何を生きるか”ではなく、”なぜ生きるのか”、そのためには”どう生きるのか”が見えてきて、生まれ故郷に帰っていくのでした。

 

TEDのこの映像は何度も見ています。そこには、とってもシンプルでものすごく深い、Why/How/Whatが語られています。

難しい単語も出てこないし、すごくわかりやすい語り口調なので、英語に慣れるにはもってこいです。 

www.ted.com

 

私自身、ここ何年も、”自分は何を信じ、何のためにはたらくのか?”を考えてきました。そして、”なぜ生きるのか”を夢として形にして、では”どうするか”、”何をするか””を考えてきました。

 

おかげで、自分を”終わった人”だとも、定年を”生前葬”だとも思わずに生きています。

これからが、私の本当の人生なのですから。

 

そして、共感する部分が山のようにあるヒデ(榎本英剛)さんの『本当の仕事』には、このように書かれていました。

  • その人が「何」をやっているかということより、「なぜ」やっているのかということのほうが、よりその人の「本当の仕事」に近いのではないか。

 

今年は、自分の「本当の仕事」を具現化していく歳になります。

信じるものをやり続ければ、なるようにしかならないけれど、なんとかはなるものですから。