「請求書の祈り」と「領収書の祈り」

どうして神さまやほとけさまに、お願い事をしてはいけないのでしょうか?

 

それは、「請求書の祈り」だからです。神さまやほとけさまに勝手な請求書を突き付けて、「これを実現してくれ」というのは、おかしいわけです。それよりは、「ありがとうございました」と感謝の気持ちを込めた「領収書の祈り」が正しいと、ひろさちやさんは言っています、


例えば、大学受験の際に「合格しますように」と祈ったとします。しかし、自分が合格するということは、誰かが落ちるわけです。合格の祈りをする人は、そのことに気づいていないか、忘れています。つまり、このような”請求書の祈り’ばかりをしていると、ついつい他人が目に入らなくなるわけです。


さらに問題なのは、合格するということはいいことで、落ちるのは悪いことだと思い込んでしまうことです。合格することがいいかどうかは、実際に入ってみないとわかりません。にもかかわらず、「俺を落としやがった」なんて、神やほとけを恨むのはお門違いというものです。

 

以上は、『なせ、感謝するとうまくいくのか』(五日市剛著)に書かれていることです。

 

「○○に合格しました。ありがとうございます。」「○○を達成しました。ありがとうございます。」と先に、神さまにお礼を言っておくとどうでしょうか?

 

「請求書の祈り」だと、期待する意識が強くなり、それが実現する未来のことをとやかく考え、不安や焦り陥りそうです。そうなると、今に集中する意識が薄くなるのではないでしょうか?

そして期待が外れると、原因や責任の所在探しが始まります。自責にせよ、他責にせよ、言い訳にせよ、起こったことにくよくよしてしまいます。

 

先にお礼を言っておけば、不安や焦りが、ある意味手放せそうです。そうすれば、今に集中できるので、結果も出やすくなると思われます。

もし、結果が出なくても、それは、自分の努力が足りなかったので、また頑張ればいいと前を向きやすくなります。また、合格しなかった場合、合格した後、後悔することもあるわけなので、ご縁がなかったと思えばいいわけです。塞翁が馬ということもあるわけですから。

 

私自身の経験から言うと、こうなってほしいやこうしたいではなく、こうなってよかった、ありがとう、と思うと、けっこうそうなるのです。毎日書いている、SOL Cafeノートも、朝一で、「今日はこうできて充実した一日にったことに感謝」と書くと、ほぼそうなります。